田舎から桐朋の受験

楽典や聴音などの対策をして、あとは実技の準備となりました。

 

僕が生まれ育った愛媛には音大、音高はなく、桐朋の付属の音楽教室などもなかったため、桐朋出身の先生に小さいころから習っていました。ただ、いざ桐朋を受験するとなると、やはり桐朋の先生に受験からレッスンを受けた方がいいということになり、高2の終わりころから地元の先生の紹介で、桐朋の先生のレッスンを受けに毎月東京に行っていました。

 

愛媛から東京への行き方は、飛行機、電車、夜行バスのいずれかでした。時間的にはもちろん飛行機が一番楽なのですが値段が高く、電車も四国は新幹線が通っていないため6時間半ほどかかります。結局、値段が一番安い夜行バスで12時間ほどかけて、毎月東京にレッスンを受けに行っていました。

 

その先生には桐朋に入学して2年間ほどお世話になりましたが、本当に生徒のことを考えてくれる先生で、受験前は基本2時間でお願いしていたレッスンを3時間や時には3時間半ほどレッスンして下さいました。また、入学してからも学内の公開レッスンに推薦していただいたり、積極的にコンクールを受けることも勧めてくれるなど、本当によくしてもらいました。

 

結局、大学2年の終わりころに僕がロシア奏法と出会い、奏法だけでなく音質や音楽的な表現のしたいことも変わっていき、奏法が正反対の先生だったこともあり、最後は半分破門のような形で他の先生へ移ることになりました。

 

そして、数年前に知り合いづてで、その先生が亡くなられたと知りました。

 

先生を移る最後のレッスンは喧嘩別れのような形になっており、こちらから連絡も取りにくかったため、それまで全く連絡を取っていませんでした。それを聞いたときはショックと、1度でもご挨拶できていればと、後悔の気持ちでいっぱいでした。

 

正直、その先生と出会っていなかったら桐朋に入ることはできなかったと思いますし、こうしてピアノを仕事にできていなかったと思います。最後は先生の言うことを聞かない生徒でご迷惑をお掛けしましたが、本当に感謝しております。